「やや日刊カルト新聞」主筆・藤倉善郎と私が、なぜ対立するようになったのか


やや日刊カルト新聞主筆藤倉善郎の問題を取り上げるのは、今日で4日連続です。
昨日までの記事と併せてご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/psw_yokohama/archive?word=%C6%A3%C1%D2%C1%B1%CF%BA


カルト問題に取り組む「やや日刊カルト新聞」は素晴らしいサイトだと、私は考えていました。
藤倉に、やや疑問を感じる部分はあったのですが、特に悪い印象はありませんでした。どちらかと言えば好意的に見ていました。対立するようになるとは、夢にも思っていませんでした。


私と藤倉が議論を始めた最大の要因は、両者の「認識のズレ」だったと思います。
より正確な表現を用いれば、藤倉の「認識不足」です。
http://togetter.com/li/254441


「誰もが正確な日本語(言語)を使っているわけではない」「文法上の誤りのある言葉が用いられることは、日常生活において珍しいことではない」という現実は、自明なことです。
したがって、「文章には多様な解釈が可能である」というのも、また自明なことです。
そのため、その前提で私は藤倉に意見しましたが、わざわざ前提とする事実まで説明することはありませんでした。


しかし、藤倉は「多様な解釈などない!」と思い込み、牧師・清水与志雄さんの言葉尻をとらえて大騒ぎしました。
清水さんのツイートに文法上の誤りがあるとは、藤倉は全く思わなかったようです。藤倉の判断の前提が間違っていたのです。


藤倉が、清水さんのツイートを「デマ」と決め付けることについて、不可解としか思えない私でしたが、「認識のズレ」が何なのか分からず、混乱したまま藤倉に対応していました。
そのためか、藤倉は、私にまで「ぼくは面倒くさい人に粘着されてるとしか思いませんよ」「ぼくがあなたのわけわかんない日本語論に同意するまで続けるんですか?」などと失礼な言葉を浴びせました。


それでも、私は藤倉の体面に配慮し、言葉を選びつつ、藤倉に対して、藤倉の主張が間違いであることの証拠を示しました。
ここで、藤倉が自分の非を認めれば、私は「誰にも失敗はありますよ」と述べ、議論が終了したはずです。


ところが、藤倉が詭弁を弄して、自分を正当化するので、私は怒りを抑えることができなくなりました。
その私の怒りに対して、藤倉が、私および清水さんを中傷して言い逃れようとするので、対立が決定的になったのです。


参議院議員・有田芳生さんを始め、多くの知人が「psw_yokohama」はどこの誰かを知っています。
私は、家族にも「psw_yokohama」と名乗っていることを知らせています。
そのため、「psw_yokohama」が中傷されれば引き下がれない立場なのです。
そのことについても、藤倉は認識不足だったようです。


ここまで、藤倉の「メディアリテラシー欠如」「認識不足」などを批判してきましたが、問題はそれだけではないと考えています。


彼のインターネットでの発言を見ていると、「他者への敬意」「謙虚さ」を欠く人物であることが伝わってくるのです。
その点を改めなければ、彼は、失敗から学べず、失敗を繰り返すことになるでしょう。