衆議院議員・三宅雪子さんは、なぜ叩かれるのか(2)


前回の記事の補足です。
改めて「YouTube」での衆議院議員・三宅雪子さんの「転倒シーン」とされる動画を見ました。
自民党議員・甘利明氏らしき人物が民主党議員・初鹿明博氏らしき人物を押し、その隣の三宅さんらしき人物が倒れます。
http://www.youtube.com/watch?v=7_OcQzSzvhI


甘利氏らしき人物が押す瞬間から一瞬遅れて三宅さんらしき人物が倒れたように見えることも、多くの人に「三宅さんの自作自演」と思い込ませた要因なのでしょう。
しかし、当然のことながら、「足が引っ掛かった」など力の伝わり方によっては、あのように倒れても不自然ではありません。
ビートたけしのTVタックル」で検証したようですが、その結論も「三宅さんの自作自演ではない」でした。
http://www.youtube.com/watch?v=o9pOPupPh2U&feature=related


「三宅さんによる自作自演」の証拠がなければ、三宅さんは被害者だと考えるのが当然です。もし証拠が出て来たら、考え直せば良いのです。


三宅さんが叩かれる理由のひとつとして、前回の記事で、「三宅さんが小沢一郎氏を支持されていること」を挙げました。
これに対して、「三宅さんを叩いても、小沢氏を叩くことにはならない」と思われるかもしれませんが、私は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の心理だと考えています。小沢氏へダメージを与えられるか否かにかかわらず、「三宅さんを叩かずにはいられない」という衝動性のようなものを感じます。


今年5月、三宅さんと同じく小沢氏を支持されている参議院議員・森ゆうこさんへの悪意に満ちた記事が「週刊文春」に掲載されました。この記事の誤りを、筆者の森功氏は後日認めています。内容は誹謗中傷でしかなかったと思われても仕方ないでしょう。
http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/2011/05/post-e4d5.html
http://mori13.blog117.fc2.com/blog-entry-918.html


昨年12月、「NHKニュースウォッチ9」で、「小沢氏に近い議員」として森ゆうこさんの仏頂面の静止画像を、その直後に談笑する自民党執行部の議員たちの動画を流していました。森ゆうこさんは、いつも素敵な表情を見せることが多いという印象があるので、NHKは、わざわざ仏頂面に見える一瞬の静止画像を選んで放送したとしか思えませんでした。小沢氏および森ゆうこさんのイメージを悪化させ、自民党のイメージを良くしたいという意図があると勘繰られても仕方ないでしょう。


前回取り上げた「週刊新潮」についても同様ですが、「公正・中立」を標榜するマスメディアには「一度攻撃対象を定めると、あらゆる手段で『敵』を叩き、貶める」という習性があるのではないでしょうか。


その週刊新潮の記事で、特に強い違和感を覚えたのが、三宅さんの「転落事故」を揶揄するような記述でした。
「三宅さんは転倒騒動、転落事故など、議員本来の仕事とは関係ないことでしか話題にならない」という趣旨でした(買っていないので原文を引用することはできません)。


昨年11月、三宅さんは自宅マンション4階から転落し、大怪我をされました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101102-OYT1T00619.htm
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20101104-698111.html


そのニュースに、私は「ご自身への誹謗中傷を苦にした自殺未遂では」と思いましたが、報道では「誤って転落した」とされており、三宅さんは「不注意による事故」と述べられています。酔っていたのであれば、真相は、ご本人にも分からないかもしれません。
http://www.miyake-yukiko.com/blog/post-416.html


「不注意による事故」であったという前提で、話を進めます。
この件で、三宅さんに全く落ち度がなかったとは言えません。
しかし、飲酒時での失敗は、多くの人に経験があることでしょう。
重傷を負った三宅さんに追い討ちをかけるように責めるのは、おかしいとしか思えません。


週刊新潮の態度は「ひとごと」であるだけでなく、転落事故をも「三宅さん叩き」の材料にしています。記者および編集者は、血も涙もない人ばかりなのかと言いたくなります。


「三宅さん問題」の裏には、「小沢一郎抹殺キャンペーン」と同様、仮に本人に特に落ち度がなかったとしても、マスメディアの標的にされれば徹底的に叩かれるという、日本社会の恐ろしい構造があります。一種の冤罪と言っても良いでしょう。
標的にされなくても、偏った報道に誰もが操られかねないというリスクがあります。その意味で、「ひとごと」ではないことを私は強調したいのです。