名古屋市長・河村たかし氏および「減税日本」の実態


参議院議員・有田芳生さんおよび私が批判してきた名古屋市長・河村たかし氏。
http://d.hatena.ne.jp/psw_yokohama/20110122/p1


その河村氏が設立した地域政党(?)の「減税日本」の実態が明らかになってきました。案の定というより、私の想像以上に酷いようです。

 不祥事の発覚と同時進行していたのが、会派内の不協和音だった。則竹氏の議員辞職により、「減税日本」の市議は全員(繰り上げ当選者を含め28人)新人となったが、議員間の肌合いの違いが広がり、ぎくしゃくしていた。

 庶民の声を市政に反映させようと、「減税日本」は政治経験のない新人ばかりを擁立し、最大会派に躍進した。庶民議員の年齢や経歴は様々で、市政への問題意識、ビジョンなどにも違いがあった。要するに「寄せ集め集団」である。それでも、「減税日本」代表の河村市長は三大公約(市民税10%減税と地域委員会の全市域への拡充、議員報酬の半減800万円)以外は会派拘束しないとの方針を立て、議員の自由闊達な議論を目指すとした。

 そうはいっても、庶民感覚だけで議員が務まるものではない。また、市政への熱意や思いを議場でぶつけるだけでは成果を生まない。議員の本来の役割を果たそうとするならば、見識や弁舌、調整力など求められるものは多い。庶民議員は皆、意欲満々(?)ながらも「河村たかしのブランドがあって議員になれた人が多い」(減税日本の市議の指摘)のが、実態といえる。

 出直し市議選直後の3月議会(3月24日から4月27日)で、新人議員は厳しい洗礼を受けた。議員報酬半減案(年間800万円)を提案したものの、答弁が稚拙で立ち往生し、迷走に迷走を重ねたのである。当選直後の議会開会で、準備時間が決定的に不足していた。そのうえ、新人議員ばかりで議案を提出するという重責を負った。通常の地方議会ではありえないことだった。そうした諸事情を斟酌しても、新人議員らの力不足は明らかだった。

http://diamond.jp/articles/-/12775?page=2

以前から指摘しているとおり、河村氏の減税論は政策論ではなく、リバタリアン自由至上主義)の立場からの思想信条の表明にすぎません。だから、どんな状況においてもただ思想信条をそのまま表明するだけです。

具体的な状況に応じて政策を考える関心も能力もありません。

(中略)

ちなみに、減税日本について、依然として「地域政党」という報道がされていますが、名古屋とか愛知という地域は「減税」という一般的な政策(思想信条)とほとんど関係がありません。また、全国で候補者を推薦している以上、活動も地域政党とはいえません。

河村氏の国政復帰のための手段としての個人政党にずぎないことを、マスコミも認識はし始めていると思うので、用語は変えるべきだと思います。

http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/260

減税日本の今後の帰趨を占うものとして注目された衆院愛知6区補選は、自民党候補が勝利し、減税日本の候補は河村氏らが必死にテコ入れしたにもかかわらず、ダブルスコア以上の惨敗でした。

これで、統一地方選前半戦の愛知県議会選挙で減税日本がほぼ名古屋市内でしか当選者を出せなかったことと併せて、河村台風は名古屋市内に止まることがはっきりしました。

全国で100人以上を推薦して全国進出を主な目的としていた河村構想はほぼ挫折したといってよいでしょう。

何よりも、東日本大震災の深刻な被害が、河村氏の政治ごっこの軽さを浮き彫りにしたということでしょう。

http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/263

 けれども、河村さんは、名古屋をどうしたいということは、実は非常に副次的な目的で、最終的にはやはり国に戻るということで、『総理を目指す男』と本人も依然として掲げて、いっています。

 ただ民主党の中で、推薦人にもなってもらえないということで、代表になっていくということは絶望的なわけです。そうすると、名古屋市長というポストを使って、全国的な注目を集めて、何かの政界再編とか、そういうことで国政に影響力を持って、本人としては総理を目指すと。そのためのステップです。

 ですから「減税日本」という名前にもそれは表れているわけで、そういうテーマを掲げて、全国にも推薦者を立てますし、できれば国会議員を5人以上集めたいというのが当面の目標だと思いますので、そもそも地域政党ではないということですね。

http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/266