名古屋市長・河村たかし氏は、目立ちたいだけ?


参議院議員・有田芳生さんのお名前で検索したところ、名古屋大学教授・後房雄氏のブログがありました。
後氏は、名古屋市長・河村たかし氏のブレーンでしたが、名古屋市の経営会議の「経営アドバイザー」に就任後わずか1カ月で辞任したようです。
http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/170
http://blog.livedoor.jp/minami758/archives/775032.html
http://www.city.nagoya.jp/shisei/category/50-6-0-0-0-0-0-0-0-0.html


河村氏の市政運営の内情などについての興味深い記述を、以下記録しておきます。

市長の解散戦略は、もともとぎりぎりの可能性に賭けるという性格のものでしたが、「疑惑」から逃げた印象のなかで、とても体制が整っているとは思えない状況では、私には暴発としか思えません。ご本人の選択でしょうから、やるだけやらないとどうしようもないでしょう。

http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/119

 自治体の首長には、政治家としての資質と経営者としての資質の両方が必要だというのが私の持論である。河村たかし名古屋市長の1年間を内側から見た評価を率直に言えば、政治家としての能力と人気は抜群である(だからこそ抜本的な議会改革に切り込めた)一方で、経営者としての能力と関心は極端に低い(たとえば、書類管理や会議運営ができない)。その政治家としての能力も、議会との対立構図を作って市民やマスコミにアピールする面では卓越しているが、政治主導の行政経営を推進する面では乏しい。

 振り返ってみて、私や藤岡経営アドバイザーと河村市長との「決裂」の根本的理由は、市長イメージが食い違っていたということにあると考えている。政治主導の行政経営を確立し、マニフェストの項目を着実に実行していくことを期待していた我々と対照的に、河村市長自身の中心的関心は、議員報酬と定数を争点に議会との対立構図を演出して、議会解散直接請求から住民投票、議会再選挙というシナリオを実現することに尽きると言ってよい。これはこれで、議会の実態を前提にすれば大きな意義があるが、市政はそれだけではない。

(中略)

 全体として、河村市長にとって、市政のトップとしてきちんと問題解決に取り組むということよりも、議会解散直接請求という政治ショーこそが一貫した中心的関心事だというのが私の評価である。行政を役人に丸投げするなかで、トワイライト事業全ての外郭団体受託など、役人の既得権防衛も野放しになっている。

 最後に、今後について言えば、マネジメントの資質と関心がこれほど乏しい人が市長をやっていてよいのかという根本的な疑問がある一方で、次の市長選挙ではそれにもかかわらず勝ってしまうであろうというのが困ったところである。

(中略)

この文章から掲載分では削除された「書類管理や会議運営ができない」というのは、細かいことのようですが、実は河村市長の本質を表現しているものです。公文書を紛失したことは1度や2度ではありませんし、会議は集団的討論と決定の場にはならず、放談会になるだけです。

これでは、万が一市議会で過半数を得たとしても、与党議員たちも束ねられないし、行政も動かせないので、市政は同じように混乱するだけでしょう。河村市長にとっては、議会との喧嘩に勝ったことで目標を達成したということなのでしょうが、それは市長として市政に責任を持つことを避けて、市長ごっこをやっているとしか私には思えません。

http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/131

私自身は、市民の直接請求はテーマが何であれ住民自治を強めるものとして意義があると考えていますが、今回の署名運動の実態はそうした名に値するものとは考えられません。なぜなら、地方自治法上、本来は市民の権利である議会リコール権を、市長が事実上行使するという越権だからです。つまり、目立つことだけが目的の政治屋による市民活動の私物化です。

その結果、本来の市民活動としての組織的基盤がほとんどない状況で強引に進める形になっています。

ここには、河村氏のいつものいいかげんさと組織やマネジメントのセンスや能力の欠如が集約的に示されています。

こんな人物に、NPOもボランティアも寄付も語る資格はありません。

http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/169

ところで、菅改造内閣総務大臣として、鳥取県知事をやった片山善博氏が入閣しました。その片山さんが月刊誌『世界』に「日本を診る」という連載をしているのですが、10月号の連載34回では、「名古屋市のねじれをどう解決するか」を書いています。

片山さんは、減税などの主張には共感を示しつつ、「議会は直近の市長選挙の結果に従え」という市長の論法は誤りというほかない、と断じています。議会もまた住民から直接に選挙されているのですから、当然のことです。やるべきことは、議会解散ではなく、近く予定されている市議会選挙でキャンペーンを展開することだというのが片山さんの主張です。

ちなみに、もし次の議会選挙でも議会多数派が市長に反対する結果となったとして、今度は市長はそれに従うつもりがあるのか、と片山さんは皮肉を述べています。

また、片山さんは、市議会が減税に同意しなくても、減税相当額の歳出をカットした予算を市長の責任でつくり、数年間継続して歳出予算を削減して十分な財源余剰を生み出して見せれば議会も反対できないだろうと述べています。

現実的ですばらしい提案ですが、そのような実務への関心も能力もないのが河村さんですから、こうした提案にはまったく無関心でしょう。要するに、議会リコールがやりたいだけなのですから、そういう人にまともに提案しても意味がありません。

もう一点、減税や議員定数、報酬などの案件については、いちいち議会リコールをやるのではなく、住民投票によって決めるのが合理的だと指摘しています。私が関わっていた時には、まさに住民投票条例の直接請求を突破口にするという方針だったはずですが、いつの間にか議員報酬の半減をめぐって議会リコールを直接に掲げるという方針転換がなされました。

ここにも、河村さんが、民主主義や自治体経営などには大した関心はなく、議会リコールで注目を集めたいだけだという本心が透けて見えます。メディアはまだ、いくらなんでもそれほどひどくはないだろうと思っているようですが、こうしたいいかげんさを示す事実が積み重なるにつれて変っていくでしょう。

http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/175

特に、二元代表制を守れ、という路線を基本にして議会擁護論をやっている限り、河村市長の報酬半減論に対抗することは不可能でしょう。従来のような議会、議員の実態では、半減(800万円)でも不当とはいえないでしょうから。

(中略)

ところで、河村戦略では、議会解散・再選挙と市長辞任・再選挙を2月の愛知県知事選挙に重ねるというものです。

(中略)

しかも、次の名古屋市議会選挙において、河村派の議員がどれだけ増えたとしても、75人の過半数はほぼ不可能でしょう。そうすると、議会多数派を敵に回しての市政運営という状況は変わらないわけで、そんなしんどい仕事に河村市長が取り組むとは思えませんし、その能力もありません。

中央政界への復帰も難しいし、しんどい名古屋市政運営もいやだとすれば、さて、どうされるのでしょうか。当面、先の展望のなさをリコールごっこでごまかしていくのでしょうが。

http://blog.canpan.info/jacevo-board/archive/180


私は、以前から河村氏の言動に疑問を感じていました。
衆議院議員だったときに、毎回のように民主党代表選挙に立候補するかのような発言をテレビカメラの前で行ない、そのたびに推薦人が規定数に届かず断念する。格安賃料の議員宿舎を批判して、自宅である一般のアパートにテレビカメラを招き入れる。
「ただ目立ちたいだけの人なのだろうな」「自分だけ良い格好をしたいのだろうな」と思っていました。
市長になった今、「市議会議員報酬の半減」を訴えている論拠は、河村氏および名古屋市のWebサイトを見ても分かりません。確かに議員報酬が1,600万円ならば高額すぎるかもしれないとは思いますが、なぜ半減なのか、なぜ3割減ではないのかなど、論拠が必要です。「受け狙い」だけだと思われても仕方ないのではないでしょうか。
http://takashi-kawamura.com/
http://www.city.nagoya.jp/mayor/category/318-0-0-0-0-0-0-0-0-0.html


これらの言動に伴う河村氏の表情および口調は、正直なところ「まるで詐欺師みたいだ」という印象でした。
河村氏にしても、橋下徹氏にしても、小泉純一郎氏にしても、私は全く信頼できないと思うのですが、このような人物を支持する人が多いのが日本国民だということに危うさを感じずにはいられません。