多数派と少数派


以下は、メインブログに投稿した内容ですが、このブログの記事と関係の深い内容なので、こちらにも転載します。




先日のNHKETV特集」で、アイヌをテーマにしていました。

もともとマイノリティー、特にアイヌには興味があったのですが、期待以上の内容でした。


アイヌ・レブルス」のメンバーであるアイヌの若者の体験談。

アイスクリームひとつ買うときにも「一緒に居る友達にアイヌを連想されないか」とおびえるという話。
小学生の頃から自分がアイヌであることを隠し、アイヌ音楽を教えようとする祖母を避けていたが、20歳を過ぎて再び隠さずに済むようになったという話。

現在を生きるアイヌの貴重な証言です。


アイヌ・レブルスの酒井兄妹アイヌの父親と「和人」の母親の間に生まれたということなので、兄妹をアイヌ民族と呼ぶのなら、「和人」と考えても良いはずです。

アメリカ民主党オバマ上院議員も、黒人の父親と白人の母親の間に生まれた人なのですが、「黒人初の大統領を目指している」と言われています。

「外見が与える印象に近い方の血筋」がその人自身又はその人を見る人々の「民族意識または人種意識」を決定するということなのでしょうか…


私の沖縄出身の知人も、「沖縄出身であること」を気にしている様子だったことを思い出しました。

琉球民族」という言葉はあまり目にしませんが、昔から沖縄に住む人の血を引く人々は、アイヌ同様「日本人の大多数」とは外見の特徴が多少異なるというイメージです。


少数民族であることを隠したがる人」に問題があるわけではなく、その人にそう思わせる社会に問題があると私は考えています。

恐らく、全ての国は複数の民族で構成されています。

日本にも多様な人々が暮らしているのですが、「日本人は単一民族」などという幻想を持つ人が少なくないのが現状なのでしょう。



私が中学生の頃、「登校拒否」(当時、不登校という言葉はありませんでした)は現在より相当少ない状況でした。

その後も、自分が少数派であることをいつも感じてきました。

「自分は皆と違う」と、いつも思っていました。

「登校拒否していたこと」を隠そうとしていたときには、隠しきれなくなることを恐れていました。


今回の番組でのアイヌの人々の話は、とても共感できるものでした。



しかし、多数派又は少数派とは何なのでしょうか?

多数派に属していると思っていても、ある日突然思いがけない出来事によって、誰でも「障害者」又は「犯罪被害者」などの少数派になりうるのです。

より正確には、「そもそも人は多様なので、解釈次第、『線引き』次第で少数派とレッテルを貼られる可能性は誰にでもありうる」ということなのです。

「皆と同じでなければならない」「多数派に属していなければならない」などという同質化圧力が強い社会は、生きにくい社会であり、多くの人を不幸にする社会だと思います。



最後に、ジャーナリスト有田芳生さんのブログで紹介されていた「バラバラでいっしょ ○△□のうた」を引用しておきます。


まるさんかくしかく まるさんかくしかく
顔も姿も ちがうけど
だから とっても おもしろい
大きな願いに つつまれて
バラバラでいっしょ バラバラでいっしょ
誰もが 今を 生きている