日本の「端」が示す多様性


先月、小笠原諸島に属する無人島「南硫黄島」の調査の様子が、NHK「サイエンスZERO」で放映されました。

日本の最南端に近い場所で「日本最後の秘境」とも言われる南硫黄島ですが、インターネット上にはあまり情報が無く、興味深く番組を見ました。


今年、私は「日本国領土の端」の離島の地理及び歴史などに興味を持って、色々調べていました。

離島には、「日本人の大多数」とは多少異なるルーツを持つ人々(「少数民族」という表現は不適切かもしれません)も暮らしています。

日本の国土については多様だという認識が以前からあったのですが、「単一民族」だなどと言われることもある「日本人」が、いかに多様な人々の集団なのかということも理解できました。


以下、私が「お気に入り」に登録しているサイトをご紹介します。


北端<北海道・択捉島>


択捉島を含む北方領土は、北海道本島の目と鼻の先です。
ロシアによる日本漁船の拿捕事件などが度々発生しています。
北方領土問題の解決は、特に現地の人々にとって切実な課題なのでしょう。

北方領土の帰属に関する日本側の主張は、以下のWEBサイトで読めます。地理情報もあります。


http://www8.cao.go.jp/hoppo/sugata/01.html

http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/hrt/hopporyodo/index.htm

http://www.hoppou.go.jp/index.shtml


ロシアの言い分も並べて掲載すれば、より問題の理解を深められると思いますが、そのような記述が日本側の公的なサイトで皆無なのは何故でしょうか…


北海道の「少数民族」として、アイヌはご存知のことと思いますが、サハリン(樺太)の「ウィルタ」及び「ニヴヒ」(ニヴフ)という人々も、戦後に北海道へ移住したようです。
その中には、日本国籍を与えられなかった人も居るようです。


http://www.ainu-museum.or.jp/nyumon/nyumon.html

http://www.d2.dion.ne.jp/~bunkt/

http://www.chikyukotobamura.org/muse/low060402.html

http://www.ling-atlas.jp/nivkh.html


西端<沖縄県与那国島>


台湾島から約100kmしか離れていない与那国島は、もともと独立国だったのが、16世紀から琉球王国、17世紀からは薩摩藩に支配されるようになったそうです。

与那国島上空で日本と台湾を東西に分断している防空識別圏(ADIZ)問題」は、「台湾側の配慮」によって曖昧になったままのようです。


http://www.okinawatimes.co.jp/day/200602251300_02.html

http://www.y-mainichi.co.jp/?action_article_show=true&article_id=3308


外見から、フィリピンなどに住んでいる「マレー系」及び中国系の人々に近いと思われる沖縄の人々について、「琉球民族」と呼ぶかどうかは、微妙な問題でしょう。

九州にも、外見の特徴が沖縄と似ている人々が居るのですから…

もともと「民族」とは非常に曖昧な概念ですから、様々な考え方ができるのでしょうね。


沖縄の言葉が「日本語の沖縄方言」なのか、それとも「沖縄語」なのかも、簡単には結論を出せない問題のようです。


東端及び南端<東京都・小笠原諸島>


最南端・沖ノ鳥島及び最東端・南鳥島には、海上保安庁及び気象庁などの国家公務員又は国が実施する工事などの関係者以外には、通常入れないようです。

「情報収集にはインターネットなどに頼らざるを得ない地域」なのですが、インターネット上に画像付きのサイトがいくつもあり、「ちらっと覗いた」くらいの気分にはなれました。


しかし、「沖ノ鳥島は島ではなく岩」だとする中国の主張は、正しいような気がします…


http://www.kaiho.mlit.go.jp/info/books/report2005/tokushu/p027.html

http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/okinotori_island/

http://www.data.kishou.go.jp/obs-env/minamitorishima/mcgaikan.html

http://homepage3.nifty.com/marcus/

http://www.sendai-jma.go.jp/wadai/hyakka/Hyakka20051117.htm


父島、母島及びその近辺の島々は「小笠原群島」ですが、「小笠原諸島」と呼ぶときは、沖ノ鳥島南鳥島及び硫黄列島火山列島)などを含みますので、小笠原諸島全域からなる小笠原村は、非常に広大な範囲に及んでいるのです。

ただし、小笠原村が管理している範囲は恐らく小笠原群島のみで、小笠原群島を除く小笠原諸島の島々は、国が直接管理しているのでしょうが…


http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/outline/index.html

http://www.iwojima.jp/ogasawara.html


小笠原諸島からは石器が発見されており、大昔にも人が住んでいたようです。


記録に残る「小笠原への初めての人の定住」は、明治維新の少し前。

ハワイからやってきた白人及びハワイ先住民たちだったそうで、その人々の子孫は、現在も小笠原で暮らしているのです。

「セーボレー」及び「ワシントン」など、カタカナの苗字の人々です。「瀬堀」はセーボレーの日本名だとのこと。


http://www18.ocn.ne.jp/~savory/ogasawarahistory.html#112

http://homepage2.nifty.com/aoki-co/sakusaku/5_2.htm