祖父の死


先月12日、私の祖父が亡くなりました。94歳という年齢だったので、大往生と言えるでしょう。

その日は参議院選挙の公示日で、私はジャーナリスト・有田芳生さんの選挙事務所に居ました。

携帯電話をバッグに入れたまま、作業を行なっていた部屋とは離れた場所に置いていて着信の有無をチェックすることもなく、訃報に接したのは帰宅してからでした。

気付くのは遅れましたが、選挙活動に集中できたので良かったと思っています。


翌13日が通夜、14日が葬儀となりました。

その2日間は別の用事があって、もともと選挙の手伝いは休む予定でしたが、その用事など吹き飛んでしまいました。


危篤の知らせがあったのは、6月上旬でした。

その日も私は外出中で、朝、多分駅の構内を歩いていた私のバッグの中で鳴る携帯電話の着信音は、周りの喧騒にかき消されてしまい、気付いたのは昼になってから。

あちこち電話し続け、昼食をとることもできませんでした。


前日までは元気で、庭仕事をしたり、TVで好きな阪神タイガースの試合を見ていたそうですが、急に倒れてしまったとのこと。

当日、私は重要な講座を受けており、仮に病院に行っても意識不明の祖父と話が出来るわけでもなく、祖父のために私が出来ることなど何もないので、後日面会することにしましたが、気が気ではありませんでした。


その2日後、主治医が私たち親族に病状を説明するということで、それに合わせて面会に行きました。

病院へは、私が最初に到着しました。


ひとりで祖父の病室に入った私は、いたたまれない気持ちになり、すぐに廊下に出て、そこで他の親戚たちを待ちました。

人が、身体中に様々な管をつながれた状態というのは、初めて目にする光景でした。

鼻に管をさしこんだまま固定するため、顔にもテープが貼られていたり。

人間の尊厳を否定されているような感じがしました。

あまりに惨めな状態だったので、私は祖父に対して「こんなときに会いに来てしまって申し訳ない」という思いになったのです。


その後到着した私の従兄弟が、平然とした表情で祖父の足に触っているのを見て、違和感を覚えてもいました。

元気だった頃の祖父は、私にとって近寄りがたい雰囲気を持っていて、厳しく叱られたこともありました。情もある人でしたが。

倒れたとはいえ、祖父の身体に気軽に触れるような気にはなれなかったのです。


「すぐにも葬式か」と思っていましたが、祖父はかなり持ちこたえ、7月になってから「若干回復している」と聞いていました。

それを聞いた直後というタイミングで亡くなったことは、全く予想外でした。


通夜及び葬儀では、多くの親族から涙ばかりでなく笑みが見られる場面がありました。

機械及び薬物によって無理やり生かされている状態が良いとは、誰も考えていなかったはずです。

「悲しみ半分、安堵半分」というのが、参列者に共通した気持ちだったのでしょう。


葬儀の後、私はこの歳で初めて火葬場に行きました。

祖父の骨を見て、「人間の存在とは何だろう。虚しいものでは…」と考えたりしていました。

また、「自分もいつか死ぬ。その前に、多分両親が…」ということも。


いまの社会では、人の死に直面することは、あまりありません。

「死について考えることは、生を考えること」とは、よく言われます。

そのことを実感させられた体験でした。