戦争と愛国心


昨日、テレビ朝日のドキュメンタリー「田原総一朗スペシャル」を見ました。

第2次世界大戦の日本軍関係の「BC級戦犯」がテーマでした。

A級戦犯」は靖国神社との関係でしばしば耳にしますが、BC級戦犯が取り上げられることは、あまりありません。

ですが、A級戦犯で処刑されたのが7人だったのに対し、BC級戦犯の処刑は1000人近くだったと言われているようです。

BC級戦犯については、ジャーナリスト・有田芳生さんが取材されているので、内容に興味を持ったのでした。

私は「ABCとは罪の重さの違いではない」ということすら知らなかったのですが、色々考えさせられる内容でした。


番組の中で語られた「指示した上官は無罪だったのに、部下は死刑になった」、「責任の所在を上の方へ上の方へと追及していけば、天皇にまで及んでしまうかもしれなかった」という言葉。

占領軍の「天皇の戦争責任を問わないという大原則」のために、壮大な「トカゲの尻尾切り」が行なわれたのかなという感想です。


元通訳の「捕虜を拷問したり、人を殺したりするのは、初めは抵抗があるが、次からはそれに慣れてしまう」という趣旨の証言もありました。

人間性を失わせてしまうのが、戦争の本当の恐ろしさなのでしょうか…


以前、映画監督の新藤兼人さんが、こう仰っていました。

「戦場で、敵に突撃するとき『これから突撃しようかと思うのですが、皆さんよろしいでしょうか』と話し合うことはない。有無を言わせず、ただ命令する」

「すなわち、戦争は『個の破壊』だ」


戦争では、「全体の目的又は利益」が最優先され、一方で「個の最低限の人権」さえ無視される。

しかし、声高に唱えられる「全体の利益」を凝視してみると、「権限を持った一部の人々の利益」という真実の姿が見えてくる。

これは、現在の様々な組織でも少なからず見受けられる状況でもあります。


必要もないのに改正された教育基本法の「公共の精神を尊び」、「我が国と郷土を愛する」という条文は、安倍内閣全体主義志向を感じさせるものです。


愛国心についての興味深い考察をされているのが、明治大学准教授の内藤朝雄氏です。

内藤氏によると、愛国心は変態心性」だということになります。

「国家は水道や電気や医療や交通網のように、人びとの生存にとってきわめて重要なものだ」

「この私にしても、大切なインフラストラクチャーとしての国家をよりよいものにするために、この文章を書いている」

「しかし、いかに国家が重要であるとはいえ、それを「愛する」などというのは、水道管や電線をぺろぺろ舐めまわし、女性の靴や下着のにおいを嗅ぐのと同様、変態である」


その通りだと思います。

しかし、いまの日本人が「変態心性」にこぞって傾倒してしまう危険性は、ないとは言えません。