自称「スピリチュアル・カウンセラー」江原啓之と現代社会の危険性


今日見付けたインターネット上の記事によると、自称「スピリチュアル・カウンセラー」江原啓之及び江原を出演させるメディアに対する批判が、ようやくあちこちから出てきたようです。

テレビ朝日は「江原がやっていることは、宗教でも占いでもない」と主張しているようです。
確かに占いではないかもしれませんが、私は江原の行為及び江原と江原の主張を信じる人々との関係は宗教だと考えています。
「宗教団体ではないから宗教ではない」とテレビ朝日が考えているのであれば、現実が見えていないとしか言いようがありません。宗教の定義を調べたことがあるのでしょか。

宗教の定義は数多くありますが、「宗教団体のみが宗教」とするものは、全くないかもしれません。

「江原信奉者の女性」の「守護霊の存在を知ると、利己的な考え方がなくなります。私は前世を知ることで、自分の苦手なものに対する原因がわかり、前向きに生きられるようになったんです」という発言が紹介されていましたが、まさに宗教の信者の発想の典型です。
この発言に見られる「『知っていること』と『信じていること』の混同」こそ、宗教の信者の心理なのです。
この女性は、「守護霊」及び「前世」の実在を確認していないはずなのですから。
そんなことを証明できれば、ノーベル賞ものです(笑)


学校及びマスメディアにおいて、多くの情報が「事実である」として一方的に生徒又は視聴者等に流され、生徒又は視聴者等は、それが事実かどうか確認せずに信じています。
「教科書に載っていることだから事実だろう」、「TVニュースで報道されていることだから、真実だろう」、「複数のソースから同じ情報が出ているから、確かだろう」と判断しているのです。
多くの知識を得るには、それが効率的です。効率のためには、いちいち確かめてはいられないのです。
でも、そのようなプロセスが「信じること」ではなく「知ること」になるのは、情報が正確な場合に限られます。
そのような前提があることを認識できず、「信じていること」を「知っていること」と混同してしまう人間、言い換えれば「何でも鵜呑みにしてしまう人間」を大量生産しているのが、いまの社会なのです。

学校及びマスメディアに見られる情報伝達の方法は効率的ではありますが、大きな危険をはらんでいることを忘れてはならないでしょう。
「鵜呑みにするクセ」が染み付いてしまった人は、江原のような者が何の証拠もなく断定的に話す内容でも「TVに出ている人が言ったことだから真実だ」と信じてしまうのです。

TV又は新聞で報道されている内容に対しても、「多分事実なのだろう。でも、捏造の可能性がないとは言えない」、「事実であっても、その伝え方によって受け手の印象は違ってくる。メディアが受け手の印象を操作する恐れがある」などというように、「受け入れる」のではなく「受け止める」ことが大切なのではと考えています。


なお、江原の行為は、臨床心理学に基づいたカウンセリングとは全く異なるものです。
その点で、江原が「カウンセラー」を名乗っていることに対しても、憤りを覚えます。