「趣味じゃない」


このタイトルは、私が10年以上前に総選挙の手伝いをしていて、ビラを渡そうとして拒絶された女性から掛けられた言葉です。

その気持ちが分かるような気がしました。
「私もそう思っていました。でも、全ての候補者が同じではないのですよ…」と心の中で言っていました。

「政治に関わっている人々のかもし出す雰囲気は、どうも自分の感覚とは違う」という漠然とした思いがあり、それはきっと「趣味じゃない」と仰った人にもあったのではと感じたのです。


その頃、選挙以外の場で知り合った政治団体の人から、その団体主催のイベントへの参加をしきりに誘われていました。

でも、私はその人及びその団体の使っている言葉に違和感を覚えてばかりいました。

その団体の機関紙を私に売ろうとして「学ばせていただくという態度が必要だ」と発言したり。
その機関紙には、「自分たちは変革の先頭を走る。いま自分たちと一緒に走れない者は、後からおずおずとついてこい」だなどという文章が。

押しつけがましく独善的で傲慢。
「先頭を独走している」のではなく、多くの人々の気持ちから離れて孤立していたのではないでしょうか。

イベントへの誘いをはっきり断るのも面倒で、自宅及び職場に掛かってくる電話に「その日は無理です」だなどと曖昧な返事を繰り返していたのですが、そのうち「あ、そう。ダメなの!」と怒気を含んだ声で言われることもあり、「社会を良くするどころか、むしろ危険な人々ではないのか」とさえ思うようになりました。

「こんな団体の支持者が増えることなんて、ないだろうなあ」という予測は、案の定的中しているようです(笑)


政治家の演説及び選挙カーから流される候補者名の連呼も、皆同じような口調です。
「何回も同じようなことを繰り返してきて、慣れているのだろうなあ」としか思いません。


最近、労働組合の集会の横を通り掛かって、そこで演説しているのを聞いても、「何か違うんだよなあ」という感想を持ちました。その演説の内容が何だったのかもすぐに忘れてしまいました(笑)


政治に関わっている人々の言葉は、心に響かないのです。

「彼ら」が社会を変えようと熱くなればなるほど、私の心は冷めていく。
「彼ら」が賛同者を増やそうとすればするほど、私は「彼ら」から距離をとりたくなる。

「『彼ら』自身、そう言っていることによって『社会が変わる』、『賛同者が増える』と本当に思っているのだろうか?」とさえ思ってしまいます。

むしろ、そのような言葉を並べ立て「自分たち」と「自分たち以外の人々」の間に溝をつくることで自分たちの立場を守ろうとしているのではないか、とも。


でも、私が以前支援していた候補者も、ジャーナリスト・有田芳生さんも、「少し違う言葉」を使っているのです。

地味なようでも自分の言葉で、あくまで謙虚に、でも主張すべきは主張する。
静かな中にも熱いものを秘めているような…
その主張にも、ある程度お人柄を知っているためかもしれませんが、「建前ではないのだろう」と感じることができます。
「選挙慣れ」している人があまり居ない、ということも「一般人との間に溝をつくらない雰囲気」につながっているのかもしれません。

だからこそ、私のような者でも入って行けたのであって、入って行きたいと思えたのです。