「小沢信者」と「反小沢信者」


先週木曜日、民主党元代表小沢一郎氏の記者会見が行なわれましたが、その質疑応答の際の読売新聞記者・恒次徹氏の傍若無人な態度が、インターネットで話題になっています。
http://www.youtube.com/watch?v=4we1XYjHq3M&feature=mfu_in_order&list=UL
http://nikkan-spa.jp/78600
http://hatakezo.jugem.jp/?eid=33
http://fpaj.jp/?p=1782


会見終了後、恒次氏に詰め寄るジャーナリスト・岩上安身氏および上杉隆氏の言葉遣いは乱暴でしたが、筋が通っていました。対する恒次氏は、自らのルール違反を認めず、「小沢氏の返答に問題があったから自分はそうした」などと正当化する趣旨の発言を繰り返し、岩上氏および上杉氏の怒りに油を注ぐ有り様。
私も、その場にいたら怒っていたでしょう。岩上氏および上杉氏のような言葉遣いにはならないと思いますが…


「目的が正しければ何をやっても良い」と考えるのは、まるでカルト信者の心理です。
世界基督教統一神霊協会統一教会統一協会)の信者は、「霊感商法」によって多くの人の財産を奪い、「偽装勧誘」(素性を隠しての勧誘)によって人を騙して入信させ、統一教会を批判する人々をインターネットで誹謗中傷しています。
オウム真理教の信者は、地下鉄サリン事件および松本サリン事件など(オウム真理教事件)によって多数の命を奪いました。


言うまでもなく、統一教会およびオウム真理教の信者らによる反社会的活動には、それらを正当化できる目的があるとは到底考えられません。「神の国を建設するため」「人類を救うため」などと主張しても、それは彼らの主観にすぎません。
恒次氏の自己正当化は、統一教会およびオウム真理教の信者らの主張に重なって見えました。
「反小沢」に凝り固まって、「物事を様々な角度から見ること」ができないようでした。


私なら「物事の判断基準は人それぞれ。しかし、個人の基準を優先させて全体のルールを無視することを認めては、収拾がつかなくなる。そう思いませんか?」などと言うと思いますが、岩上氏および上杉氏の発言の大部分に共感しながら見ていました。
読売新聞記者の「反小沢信者」と形容したくなる言動がインターネットで中継されたことには、意義があったと考えています。「大新聞は偉そうにしていても、この程度」であることを示す事例のひとつになりました。


インターネットでは、小沢氏の支持者を「小沢信者」などと揶揄する人々(多くはネトウヨ?)がいます。確かに「小沢氏が総理大臣になれば、日本社会の様々な問題が一気に解決される」などと思い込む人もいるかもしれません。
しかし、ツイッターなどの情報を見ると、「小沢信者」よりもはるかに多数の「反小沢信者」がいると感じています。
「疑わしきは罰せよ」の発想で、日本の「非民主化」を促進する彼らは、マスメディア(新聞およびテレビ)によってマインド・コントロールされた人々だと私は理解していますが、「反小沢信者」はマスメディアの内部にもいることを実感した記者会見でした。