ジャーナリスト・有田芳生さん及び民主党幹事長・小沢一郎氏が抱えるリスク


先週土曜日、ジャーナリスト・坂上遼(本名:小俣一平)さんが執筆された「消えた警官 ドキュメント菅生事件」に関して、坂上さんに、同じくジャーナリストの二木啓孝さん及び有田芳生さんを交えたトークショーが行なわれ、参加してきました。
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2010/02/post_a2be.html
http://www.amazon.co.jp/%E6%B6%88%E3%81%88%E3%81%9F%E8%AD%A6%E5%AE%98-%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E8%8F%85%E7%94%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6-%E5%9D%82%E4%B8%8A-%E9%81%BC/dp/4062150492/ref=dp_return_1?ie=UTF8&n=465392&s=books
http://www.tku.ac.jp/student/news_detail.php?kbn=N&articleID=NW00585&secID=1


有田さんのブログで、有田さんが二木さんに間違われたという出来事の記述があったことを思い出しましたが、その記事に、坂上(小俣)さんのお名前もありました。
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2009/07/post_363c.html


トークショーでは、「調査報道」から最近の「小沢『疑惑』報道」まで、興味深いお話を聴くことができました。
http://www.nhk.or.jp/bunken/research/kokunai/kokunai/kokunai_09030101.html


聴衆の中に、「アーレフ」(旧オウム真理教)の荒木浩さんに似ている人が居るな、と思っていたらご本人で、驚きました(笑)
坂上さん、二木さん、有田さん及び荒木さん等の方々と2次会にも出席しました。


有田さんは、事務所の家賃等維持管理費が毎月50万円以上かかるのに、収入はほとんどないと仰っていました。
講演でも、謝礼どころか交通費すら支給されないこともあったそうです。
酷い話です。
借金が雪だるま式に増えている状況にあるとのことでした。


日本のマスメディアは、政治に関わる人を、「特別な話題性」があると判断する場合を除き排除する傾向があります。
それに倣うように、有田さんには、テレビ出演ばかりでなく、講演等の仕事の依頼までほとんどなくなっているようです。
「中立性幻想」に基づく排除は、以前の記事でも批判しましたが、百害あって一利なしです。全く馬鹿げています。
国会議員に当選したとしても、最近の民主党幹事長・小沢一郎氏へのマスメディア及び検察による「袋叩き」等でも明らかなように、別のリスクが発生するのです。
官僚に頼らず議員活動を行なうのであれば、公設秘書3名のみでは完全に人手不足なので、自腹で私設秘書を雇うことになりますが、国会議員の歳費は2,000万円程度です。手取りは、僅かな額しか残らないでしょう。
これほどハイリスクであるにもかかわらずローリターンでは、まともな人が国会議員になろうとしなくなるのでは、と思ってしまいます。
http://d.hatena.ne.jp/psw_yokohama/20090228/p1


有田さんは検察批判を続けられていますが、坂上さんも「特捜検察は21世紀初頭に、すでに終焉を迎えた」と述べられています。

 「いままで記者に対応していなかった幹部が、『もっと書け』とけしかけるんですよ(笑い)。こりゃ相当焦っているなと思いました」

 我が耳を疑った。それだけ捜査が順調に行っていない証拠だと思った。そんなときほど、脆弱な部隊長は、進軍ラッパを吹き鳴らして気分だけでも高揚させたくなる。しかもマスメディアが飛びつきたくなるようなネタをぶら下げてくる。これは書かざるを得ない。という図式が定型化する。

http://opinion.infoseek.co.jp/article/752


以下、Webサイトの検察批判をいくつか…


元編集者・五十嵐茂さん(有田さんのブログでのコメント)

 ここまで推定有罪の態度で一人の政治家を抹殺するキャンペーンが行われたことは、ジャーナリズム史上でかつてなかったのではないか。いずれにしてもこれまで書き飛ばしてきた記事への総検証という落とし前をつけねばならない日が来るだろう。その時はもう昨日のことですからぁ、とほっかむりですか

http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2010/02/post_a2be.html#comment-24259559


美味しんぼ」原作者・雁屋哲氏のブログ

 今朝の毎日新聞世論調査の結果によると、小沢氏の辞任を76パーセント人が求めている。
 この人たちは、何を根拠に、自分たちの態度を決めたのだろう。
 毎日検察が垂れ流すリークを、それが正しいかどうか検証することなく紙面に載せていく新聞、ニュースで流すテレビ、その影響によるものだろう。
 要するに、76パーセントの人びとはテレビ、新聞を操る検察の意のままに、彼らの言葉を反復しているに過ぎない。
 これまでの新聞やテレビの通じて知った限りでは、私自身、小沢一郎氏がどんな罪を犯したのか犯さなかったのか、分からない。検察のリークからだけでは何事も判断できない。今までのリークから判断すること自体が間違いだ。リークは証拠にはならないのだ。それなのに、この76パーセントの人びとは何を根拠に小沢一郎氏の辞任を求めるのだろう。

http://kariyatetsu.com/nikki/1214.php


ジャーナリスト・上杉隆さんの「週刊・上杉隆

 日本は推定無罪の原則を持つ法治国家であるはずだ。

 だが、いまやそれは有名無実化している。実際は、検察官僚と司法記者クラブが横暴を奮う恐怖国家と化している。

 昨年3月に大久保秘書が逮捕されてからの10ヵ月間というもの、記者クラブメディアは検察からの情報ばかりに拠って、あたかも小沢幹事長が逮捕されるかのような報道を繰り返してきた。

 だが、結果は小沢幹事長の不起訴であった。当然に法的にはシロであるはずなのだが、それでも最強の権力集団である検察と排他的な記者クラブの複合体は諦めない。

 次に、国民からは道義的な責任を求める声が沸き起こっているとして、世論の後押しで小沢幹事長を辞任させようとしている。

(中略)

 検察が常に正しいという「幻想」は、検察という国家権力と一体化した記者クラブメディアによって作られている。

 検察のみならず、霞が関官僚が記者クラブメディアを使って無意識のうちに、半世紀以上もの長きにわたって、国民を「一億総洗脳化状態」ともいうべき状態においてきたのは、ある意味で見事な「国家戦略」といえよう。

 最強の国家権力である検察の「正義」と、新聞・テレビなどの記者クラブによる「一流ニュース」のみを信じ続けてきた日本人は、あまりにもナイーブ極まりない国民といえるのではないか。

 それゆえに、「虚偽の事実」の広まる可能性が高いのも否定できない。実際、記者クラブメディアのみならず、立花隆氏や池田信夫氏などの高名な評論家たちも、この種の情報操作の陥穽に嵌ってしまっている。

 結果、無意識のうちに偏った検察情報ばかりを鵜呑みにして世間に広め、国民を洗脳することになってしまっているのだ。

 小沢一郎も公権力だが、検察もまた公権力である。

 しかも検察は、行政組織でありながら、捜査権を伴い、国会議員のように選挙で落選することもなく、逆に国家公務員法の厚い壁によって保護されている最強の国家権力でもある。加えて、その公権力の前に傅く記者クラブ制度によって、「匿名」という「鎧」まで与えられて、最強の絶対権力にまで昇華してしまっている。

 筆者は、「週刊朝日」誌上で、3週にわたって、何の罪もない女性秘書の母親が、検事による違法な取調べを受けて、保育園の迎えにさえいけなかったという卑劣な検察の行為を書いた。

 ところが、この検察の犯罪行為を記者クラブメディアは一文字も一秒も報じていない。幼い子供を持つ母親への卑劣な行いだけで、普段ならばワイドショーが飛びつきそうなネタであるのにそれはなぜか。

 それは、検察批判がすなわち「共犯関係」にある記者クラブ自己批判につながるからだ。ついでに言えば、その報道によって、11年前から記者クラブ批判を繰り返している筆者の存在を知らせることにもなり、結果、自らの首を絞めることになることもあるのだろう。

http://diamond.jp/series/uesugi/10113/


ジャーナリスト・田中良紹氏のブログ

 去年の総選挙で国民は初めて自らの手で権力を誕生させた。霞ヶ関の中だけで決められた予算編成の一部が「事業仕分け」として公開され、国民は熱狂した。国民にとって予算を実感出来た事が新鮮だった。それはこれまで予算委員会がスキャンダル追及に終始し、予算審議をまともにやって来なかった事の裏返しである。長い「官僚主導」の権力構造が崩れ始めたと思われた時、また検察権力が動いた。いつもながらの「政治とカネ」の問題で政治権力と対峙したのである。特捜部長は「殺すか殺されるかだ」と物騒なことを口走ったと言う。究極の権力闘争と認識しているのだろう。

 国民主権が選び出した政治家と国家試験で選ばれた検察官僚との戦いの帰趨は、この国の「国民主権」のあり方に大きく関わる事になる。それにしても野党自民党予算委員会で「政治とカネ」の追及に終始している姿はかつての社会党を彷彿とさせる。なぜ予算委員会で「事業仕分け」と同じように予算の中身を追及しないのか、私には不思議でならない。

http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/01/post_206.html

 主権者である国民が選んだ新政権が初めての予算案を組み、それを審議しようとしていた矢先に、「思い込み」によって現職議員を逮捕し、「ガセ情報」をマスコミに書かせ、国民生活に直結する予算審議を妨害した日本の検察は民主主義の原理を無視した「国民の敵」である。民主主義の国でこんな検察はありえない。

 民主主義にとって最も重要なのは国民が自らの権利を行使する「選挙」であり、次に国民の意思を代表し、国民の権利を拡張する「国会」である。従って国民の代表である議員は最大限に尊重されなければならない。民主主義でない国ならいざ知らず、民主主義国で議員が逮捕される事など滅多にない。あるとすれば国民の利益を著しく損ねる行為をした場合で、いわんや「思い込み」で逮捕する事は絶対に許されない。そんな事をする検察は国民の手で解体される。

 ところが「思い込み」による現職議員逮捕が日本で起きた。国会開会直前に石川知裕衆議院議員が政治資金規正法違反で逮捕されたのである。かつて秘書時代に政治資金収支報告書に虚偽の記載をした容疑だと言う。この容疑が現職議員を逮捕する理由になると断言できる法律家がいたらお目にかかりたい。逮捕は、1.逃亡の恐れがある。2.証拠隠滅の恐れがある。3.自殺の恐れがある場合にのみ認められるが、本人は過去の記載ミスを認めているので、虚偽記載の容疑での逮捕は本来ありえない。

 裁判所がよく逮捕状を出したと思うが、検察の狙いは水谷建設からの裏金の受領を認めさせるところにあったと思う。つまり政治資金規正法違反での逮捕は別件逮捕である。それを水谷建設からの裏金疑惑につなげようとしたのなら「思い込みによる逮捕」となる。検察が十分な証拠もなく「思い込み」だけで現職議員を逮捕する国など世界中のどこにあるのだろうか。

http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2010/02/post_207.html


なお、先月末にも「菅生事件」がテーマのシンポジウムがあり、有田さんが参加されました。
そのシンポジウムに関するブログ記事もご紹介しておきます。
http://blog.goo.ne.jp/nakabun21/e/a9437c83ddc6c8afdd67e3f660eef329