民主主義を阻害するもの


一昨年、ジャーナリスト・有田芳生さん(新党日本副代表)の選挙活動に関わったことで、公職選挙法の条文を読むことになり、その馬鹿馬鹿しいような規制の数々に呆れました。
必要ではない、むしろ廃止すべきとしか思えない規制が多く、少し読んだだけでもうんざりしてしまいました。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO100.html


ジャーナリスト・野々山英一氏の、インターネット献金及び公職選挙法等に関する記事を引用します。

小口のネット献金オバマ氏は米大統領選を制した。一般国民が容易に政治に参画できるこの制度が、なぜ日本で広がらないのか。

(中略)

営利企業が、利益を求めずにカネを使えば、それは背任になる。広い意味での「見返り」を期待しない企業献金は、本来存在しないはずだ。
 そもそも、政治資金規正法は二条で、その基本理念について「政治団体は、その責任を自覚し、その政治資金の収受に当たっては、いやしくも国民の疑惑を招くことのないように、この法律に基づいて公明正大に行なわなければならない」と謳っている。
 企業献金の存在が「国民の疑惑を招く」事態に陥っている以上、抑制に向かわなければならないだろう。そして「深く狭く」の企業献金から、「薄く広く」の個人献金への転換が自然の流れだ。

(中略)

 ただ「百年に一度」と言われる不況の中、企業の経営状態は悪化しており、今後数年間は企業献金は間違いなく減る。今こそ個人献金中心への体質改善が急務になっている。
 米国のオバマ大統領は昨年の大統領選で、企業や利益団体が献金のためにつくる「政治行動委員会」(PAC)からの資金は受け取らないと宣言しながら、三百九十五万人から七億四千五百万ドル(約七百四十億円)もの資金を集めた。大部分がインターネットを通じた小口の個人献金だったという。
 オバマ氏の“成功”は、日本の政治家たちにも刺激になっているはずだ。
 だが、日本の個人献金事情はお寒い限りだ。二〇〇七年分の政治資金収支報告書(中央分)によると、日本の政党本部、政治団体が受け取った個人献金は総額で四十八億三千万円。オバマ氏一人の足元にも及ばない。
 ネット献金はさらに惨憺たる状況だ。ホームページでクレジットカードによる「ワンクリック」献金ができるようにしている議員はいるが、非常に少数だ。それも、集まるのは月一万円未満というケースが多い。
 ネット献金を受け入れるサービスの利用料がペイできずに、“撤退”してしまった議員もいる。

(中略)

 ネット献金は当然、政治家のホームページから行なう。政治家のホームページにアクセスし、政策や信条に共鳴したら、献金するというのが自然の流れだ。
 ところが、日本では、政治家のホームページに対する規制がある。
 公職選挙法は、選挙期間中、同法で定められた枚数のビラ、マニフェストなど以外の選挙用「文書図画」配布を禁止している。インターネットで提供される情報は、この「文書図画」と解釈されているため、選挙期間中、立候補している政治家のホームページは、更新できない。
 有権者が政治に一番関心を持つのは、選挙期間中だ。しかし、公選法はアクセス数が上がる「かき入れ時」にホームページ更新を認めていない。これでは、デパートで新製品の仕入れを一切行なわずに売り上げを伸ばそうとするのと同じぐらい、日本でネット献金を伸ばすのは難しい。
 公選法は戸別訪問も禁じている。「政治家が有権者と一対一で向き合えば、現金を渡して買収しようとするに決まっている」という性悪説に立ったものだ。
 しかし政治家と有権者をつなぐ貴重な機会を絶っておいて、個人の献金を増やそうと思ってもうまくいくはずはない。

(中略)

 選挙期間中も自由に更新できるようになれば、政治家たちはホームページの充実に努めるだろうし、ブログなどで連日、情報や意見を発信するだろう。
 献金を増やすのが目的だとすれば動機が不純ではあるが、それにより政治と国民の距離が縮むのは悪い話ではない。若いネット世代が政治を意識し、献金し、投票に行くようになれば、民主主義の前進でもある。

(中略)

 党派を前面に出し、小学校の授業でも「民主党共和党か」「オバママケインか」と討論させる米国などと違い、日本は、政治色を出した「有権者教育」はしていない。
 そのせいもあり、日本には、政治とのつながりをさらけだすのは恥ずかしい、と思う風潮がある。ある民主党中堅議員は「有権者に支援要請しても、ほぼ例外なく“陰ながら応援します”という。これが日本人なのでしょう」と苦笑する。
「陰ながら」という人が、自宅前にポスターを貼るのを許可することはまずないし、ましてや名前を公開して献金することなど夢のまた夢なのだ。

(中略)

 オバマ氏のように「献金したい」と思わせるカリスマ性を持った政治家、政党が、今の日本にいるかどうか。実はこの問題も大きいのだが……。
 五五年体制の頃は、大物政治家の条件は、多くの企業からカネを集め、利権を誘導することだった。今後は、オバマ氏のように魅力的な情報と政策を発信して、広く国民からネット献金を集めることが「大物の条件」となってくるのかもしれない。
 そう考えると、この問題は、単に「政治とカネ」にとどまらず、将来の政治家像にも影響を及ぼす変革となるのかもしれない。

http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090608-01-1501.html


私が考える「日本で個人献金が増えない原因」を、野々山氏の指摘と一部重複しますが、以下列挙してみます。


政治家について「金銭的に不浄な職業」という偏見がマスメディアで広められ、又は「お上」意識があり、「国民の代表」という意識があまり育っていないこと。親近感を抱かれる政治家が少ない。
「余った小銭をコンビニエンスストアの募金箱に入れる」という行為に代表される「ごく少額の消極的寄付」という寄付のイメージが強いこと。「政治等の運動を積極的に支持するために身銭を切る」という文化が育っていない。
「完全な中立」など有り得ないのに、政治に携わる人をマスメディア等で排除したり、教育又は労働の場で政治の話題を避け、幻想でしかない中立性を求める傾向があること。
http://d.hatena.ne.jp/psw_yokohama/20090228/p1


公職選挙法も、政治への偏見を強める作用を持つものでしょう。
アメリカでは、昨年の民主党の大統領候補指名選挙でヒラリー・クリントン氏(現国務長官)自ら戸別訪問を行なっていました。
有権者買収を禁止すれば、戸別訪問を規制する必要があるとは思えません。


現在の公職選挙法の法解釈では、選挙期間中、選挙運動のためにインターネットを利用することが禁止されていることも大きな問題です。
第百四十二条第十二項の「選挙運動のために使用する回覧板その他の文書図画又は看板(プラカードを含む。以下同じ。)の類を多数の者に回覧させることは、第一項から第四項までの頒布とみなす」という条文が、インターネット利用を禁止するものと解釈されているのです。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO100.html#1000000000013000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000
「資金力の差で選挙の勝敗が決することを防止する」という趣旨なのでしょうが、パソコン又はケータイによるインターネット利用の普及率の高さを鑑みれば、インターネットが「より多くの資金を持つ者を利する」とは考えられません。むしろ、資金力に乏しく、チラシ等の印刷費用を賄うのに苦労する候補者にも平等に政策等を訴える機会を与えるものでしょう。
一昨年の参議院選挙では、有田さんが公示日前日に私のこのブログを紹介され、約2週間の選挙期間、毎日多数の方に読んでいただいたのですが、有権者は、候補者本人による情報発信を希望しているはずです。


政治への偏見及び公職選挙法は、志のある人物、能力の高い人物が政治の世界に挑戦することを阻む障壁になっています。


以前、ある経済学者が「世襲議員が多い要因」として、「参入障壁の高さ」を指摘していました。
官庁でも、民間企業でも、選挙に立候補するときは退職せざるを得ない状況があり、立候補しても当選するとは限らないので、「世襲」ではない人が立候補することは相当のハイリスクなのです。
「休職しての立候補を認めるようにならなければ」との意見でしたが、私も同感でした。


有田さんは、参議院選挙への立候補表明以降、テレビでの仕事依頼がほぼ無くなっているようです。
他にも、民主主義を阻害する様々なものに苦しめられながら、自己の利益のためではなく、「世直し」のために奮闘されています。


なお、来月開催の有田さんの「世直し集会」の案内が公開されたので、ご紹介しておきます。
http://www.web-arita.com/yonaosi.pdf