「日本は素晴らしい国」という妄想


先週発売の「週刊新潮」で、元航空幕僚長田母神俊雄氏の年間収入が1億円を超える可能性があることを報じていました。
多数の講演依頼が寄せられ、その講演料及び著書の印税等が相当な額になっているとのことでした。
http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20090305/


以下は、田母神氏Webサイトの「ご挨拶」の内容です。

歴史は戦勝国によって作られる。
敗戦国は当初戦勝国から見た一方的な歴史を強制される。
従っていつかの時点で敗戦国は自分の歴史を取りもどす必要がある。
戦後の日本はこれまでずっと東京裁判に始まる日本悪玉史観を強制されてきた。
広島、長崎に対する原子爆弾の投下や東京大空襲など民間人を無差別に殺害するアメリカなどの行為は不問にされる一方で、我が国は戦闘が終わったあとの占領期間中に、いい加減な裁判で1千名以上の人たちが戦犯として命を奪われた。
しかし日本は侵略国家などではなかったのだ。戦争を体験した世代の人たちが社会の中枢にいる間は日本の歴史が歪められることはなかった。
いま戦争を知る世代の日本人がいなくなって日本国民は戦後教育が真実の歴史だと思わされている。
日本が侵略国家だという総理大臣談話まで作られてしまった。
この自虐史観がいま日本を苦しめている。日本人は自分の国に誇りを持てないで、いま猛烈な勢いでこの国を壊しにかかっている。
年功序列が悪い、終身雇用が時代遅れだ、会社は株主のものだなどという考えはかつての日本にはなかった。
20年前と現在とではどちらが日本国民が安心して暮らしているのだろうか。
日清戦争日露戦争に勝った日本には多くのアジア諸国の人たちが留学してきた。
日本という国は古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。
私たちは輝かしい日本の歴史を取りもどさなければならない。
21世紀に日本が尊敬される国家として発展するために。

http://www.tamogami.org/


田母神氏に限らず、「日本という国は古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ」「日本は侵略国家などではなかったのだ」などと主張する人物は、必ずと言って良いほど「自虐史観」という言葉をセットで用いるようです。


「当時は、どの国も『食うか食われるか』の状況だったので仕方なかった」
「(日本以外の)アジアの人々のために出兵した」
「外国人には、日本に感謝する人も居る」
アジア・太平洋戦争での日本の行為を正当化する論法です。


しかし、当時の日本アメリカ合衆国等の連合国との国力の差は歴然で、全くと言って良いほど勝ち目の無い無謀な戦争でした。
「食うか食われるか」ではなく、戦争を起こせば「食われる」しかなかったのです。
それでも開戦してしまったのは、「リスキーシフト」(集団での意思決定は、ひとりの個人の意思決定よりもリスクの高い選択肢を選んでしまう傾向がある)と呼ばれる心理が影響したのではと私は考えています。


また、どのような大義名分を立てようとも、「相手国に頼まれてもいないのに、その国の領土内へ出兵すること」は侵略です。
「感謝する人も居る」かもしれませんが、そのことによって戦争による多数の死傷者及び「日本に感謝しない外国人」の存在を無視することは適切なのでしょうか。


ドイツでは、ナチスを正当化することは犯罪とされるようです。
日本で、現在に至っても存在する「侵略戦争の正当化」は、戦争責任を曖昧なままにしてきたことによって引き起こされているのではないでしょうか。


人類の歴史は、殺戮の歴史、人権蹂躙の歴史です。
どの国も、どの民族も、多くの罪を背負っています。
その中で、日本だけが「素晴らしい国」だなどということは有り得ません。


今も醜い、この世界を変革するためには、全ての人類が、過去及び現在の罪を直視しなければならない。
それは、決して「自虐」ではない。


私は、そう考えています。