「世襲」に甘い日本社会


先日、元総理大臣・小泉純一郎氏が次期衆議院選挙に立候補せず、後継者として次男の進次郎氏を擁立させる意思を表明しました。


麻生太郎内閣には、麻生氏自身を含め「総理大臣の子又は孫」が4名も居ます。
他にも複数の世襲議員が入閣していて、まるで「世襲内閣」です。
もっとも、自民党世襲議員だらけなので、自民党政権であればどのような組み合わせでも「世襲ではない議員中心」とはならないかもしれませんが…


俳優、タレントなどの芸能人にも、多くの「二世」「三世」がおり、テレビで彼らの姿を見られない日は無いでしょう。
音楽の分野にまで「二世」「三世」が少なからず進出していることは、「末期的」と言いたくなります。作品への評価又は好き嫌いが重視されるはずだと思っていましたが…


能力以前に「メディアに露出できるか否か」が決定的な差を生む世界でしょう。
そこにおいて、ただ「二世」「三世」であるだけで優先的にチャンスを与えられ、莫大な収入を得るという不公平が当たり前のようになっています。


なぜ日本社会では「世襲」に甘いのでしょうか。


まず、太平洋戦争に敗戦しても廃止を免れた天皇という伝統的権威の存在が挙げられます。皇室典範で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」などと定められています。
さらに、歌舞伎、狂言、落語などの伝統芸能も、世襲が当然視される分野です。


このように、世襲される地位がいくつもの分野に存在し、しかもマスメディアに頻繁に露出することから、天皇家ではない「現在の権力者又は政治家」、伝統芸能ではない「タレント」「ミュージシャン」などでも「世襲」への違和感を人々にあまり与えず、むしろ好意的な反応を得やすくなっているのではないでしょうか。


それも、戦後の自民党の超長期政権を維持させてきた要因のひとつなのだと考えています。