オリンピックとナショナリズム
今日、北京オリンピックの開会式が行なわれます。
新疆ウイグル自治区の独立を目指す勢力によるとされるテロ事件及びチベット族の共産党政権への反発等により、中国国内の民族主義と中国共産党の国家主義の対立が注目される中、共産党政権にとって最も重要なプロパガンダが今日の開会式なのでしょう。
民族主義と国家主義は、ともにナショナリズム(nationalism)の訳語として用いられます。
【民族主義】
民族の統一・独立・発展を目指す思想。民族意識をもとに、民族を重視して行動や主張を行おうとする。一九世紀ドイツ・イタリアの民族国家統一運動、第一次大戦後の民族自決主義、第二次大戦後の反帝国主義独立運動などに現れる。
「大辞林 第二版」より
【国家主義】
国家をすべてに優先する至高の存在あるいは目標と考え、個人の権利・自由をこれに従属させる思想。
「大辞林 第二版」より
ナショナリズム(nationalism)には、「愛国心」又は「愛国主義」の意味でも用いられることがあるようです。
中国国内の多数派・漢民族の大多数の意識内では、民族主義、国家主義及び愛国主義が一体となり、北京オリンピックに熱狂しているのかもしれません。
ところで、言うまでもないでしょうが、オリンピックが行なわれる度に世界中の国々でナショナリズムが盛り上がるようです。
日本でも、マスメディアで連日「日本人選手のメダル獲得予想」「メダルが期待される○○選手」「日本期待の○○選手」「日本代表の誇りを持って」等の言葉が流されています。
一方、外国人については、有力選手の情報すらほとんど伝えられません。
顰蹙を買ってしまいそうですが、敢えて正直に述べます。
「日本人なら日本人を応援するのが当然」という空気に、私は違和感を禁じ得ません。
「日本人がいくつメダルを獲るか」などどうでも良いと思っています。福原愛ちゃんについては「日本人だから」ではなく、人柄がとても良さそうなので応援していますが(笑)
同じ日本人でも、企業対企業、あるいは企業内の部署間・社員間でも、日々激しい競争に明け暮れています。
オリンピックと同じスポーツの場面でも、今年、Jリーグの異なるチームのサポーターどうしが衝突したという出来事がありました。
「人は、自分の所属する集団又は組織に愛着を覚え、所属していない集団又は組織に対抗心を抱く」ということは、心理学の実験の結果からも指摘されています。
構成員どうしが友好的だったひとつの集団をふたつに分けると、集団間の対立が見られるようになったということでした。
今年の騒動でスタジアムへの出入り禁止処分を受けたJリーグのサポーターたちも、日本代表の試合では、きっと、ともに日本代表を応援していたのでしょう。
Jリーグのクラブ又は企業等の組織では「共通の利益」が、日本という国家では「共通の言語」が、「所属意識」「われわれ意識」を発生させます。
でも、それは幻のようなものでしょう。
日本人だから日本人を応援する。そこに「確かな自分」は存在しているのでしょうか…
「踊らされている自分」に気付かなければ、オウム真理教及び統一教会等のカルトの信者をあまり批判できる立場ではないと思います。
誰でも、日常的に日本人どうしで争い、同じ日本人でも「好きではない、仲の良くない人間」が居るはずです。
それを思い出せば、オリンピックのときだけ「相手がどのような人か分からないけれど、日本人だから応援する」という態度にはならないはずです。
以前のNHKの番組で篠田謙一氏(国立科学博物館研究主幹)が語っていた言葉が心に残っています。
「DNAの分析によって人類の歴史を研究しているが、その結果からは民族も国家も出て来ない」
「日本人の大半は16人の母親の子孫」「15万年の人類の歴史を遡ると、たったひとりの母親にたどり着く」という研究結果があるそうです。
http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp184.html
http://d.hatena.ne.jp/psw_yokohama/20071209