どうして人を殺してはいけないの


先月24日発売の「週刊女性」で、ジャーナリスト・有田芳生さんなど複数の著名人が「どうして人を殺してはいけないの」をテーマに自説を述べるコラムがありました。

以下、有田さんの記事の一部を引用します。

太陽が東から昇って西に沈むというのは証明する必要のないことで、そういうことを公理といいます。人を殺してはいけないということも公理だと思うんです。
ところがそんな質問をいわざるをえないところに日本の現状があると思うんですよ。
(中略)生きることへの観念がものすごく希薄な子どもたちが生まれてきてることを僕が知ったのは1980年代に入ってからなんです。
(中略)人間というのは1回だけの命であってそれは誰だって対等なわけです。(中略)自分の命が大切ならば、やはり人の命も大切にしなければならない。
家族のあり方という視点で事件をとらえたら、今回の秋葉原も死刑執行された宮崎勤も、神戸の酒鬼薔薇少年もみんな家族がバラバラだったんです。(中略)人と人が大事にしあわなければいけない、ということを出発点にするならば、そういうことを教えられていない親子関係に問題があると僕は思っています。


「人を殺してはいけないというのは、社会規範以前の倫理・公理だ」とする有田さんのご意見に、私は全く同意するのですが、「自分だったら『公理』という言葉は使わない」というのも正直な感想でした。
でも、他の表現が思い浮かばないまま、それ以上深くは考えずにいたのですが、昨日ふと思い出し、以下のように自分の考えをまとめました。


家族などの身近な人々との人間関係に信頼及び愛情があれば、「人を殺してはいけない」と誰かに言われなくても、自然に「自分は人を殺したくないし、殺されたくもない」という心理になると思うのです。

職場又は学校はもちろん、家庭にさえも、信頼も愛情も希薄な状況が少なからずあるのではないかと感じています。

今こそ、あらゆる年代に心理教育が必要とされているのでは、とも考えています。