宗教と資本主義


ジャーナリスト有田芳生さんのブログに投稿したコメントを、以下転載します。


島田裕巳さんの「新宗教批判」の本は、大学生のときに何冊か読みました。

私が大学を卒業した1995年、島田さんも地下鉄サリン事件以降のオウム事件報道で生活環境が大きく変わったのですが、遠い過去の出来事のように感じます。

当時、島田さんが複数の新宗教を批判してきたことを全く触れずにオウムに関する不適切な発言だけを取り上げて島田さんを批判するマスメディアに、憤りを感じていました。

でも、あのときはそれで仕方なかったのでしょう。


「資本主義は労働力だけではなく、精神まで「搾取」する運動」であることの現れが、「宗教の企業化」なのでしょうか…

斎藤貴男さんの「カルト資本主義」を思い出しました。

「企業活動に、身も心も全て喜んで捧げる社員」が企業にとって最も好ましい存在で、そのような社員の育成に有効な「宗教の手法」を企業は取り入れているという趣旨の記述があったことを覚えています。

「企業の宗教化」と言っても良いかもしれません。

私の学生時代の恩師は、地下鉄サリン事件直後「日本中に数えきれないほどの『真理教』がある。企業などの組織の数だけある」と言っていました。

その意見は私と多少異なるのですが、宗教以外にも「人の心を自分の都合の良いように操ろうとする者」の存在には気を付けないといけないと考えています。

このコメントに付け加えれば、「自分の心が、気付かないうちに他者によって操られていないか」と時々自己チェックすることも必要です。


私は、「操られている自分」を発見することがしばしばあります。

スーパーマーケットの売場に陳列されている食品のパッケージを見て、「美味しそう」と感じて買いたくなっても、よく考えてみると「さほど美味しくもないだろうな」と判断したり。

「人は、自分が思っている以上に環境又は他者からの影響を受けている」と認識することが、「マインド・コントロール」を知る上での基本です。