インターネットというセカイ


私がインターネットを始めたのは、6、7年前のことでした。

初めて自宅に自分用のパソコンを買って、しばらく「ネットサーフィン」に熱中していました。


しかしすぐに、インターネット上の人間関係では、対面してのコミュニケーションとは全く異なる言葉のやりとりがあることに気付き、インターネットの「負の側面」にも目を向けるようになっていきました。

何回か失敗し、傷つくこともありました。


インターネットでは、誰もが自分の素性を明かさずに相手とコミュニケーションをとることが可能です。

そのような匿名性があるため、対面での関係では欠かせない最低限の配慮も遠慮もなく、傲慢で攻撃性むき出しの人間がインターネットで幅を利かせていることは、ご存知のことと思います。

「人間の心の奥に隠されている醜さ」を閉じ込めていたパンドラの箱を開放してしまったのがインターネットなのです。


以前、ジャーナリスト有田芳生さんのWEBサイトBBS(インターネット掲示板)があったのですが、その掲示板に様々な人が投稿した文章を読んで、私は非常に強い違和感を覚えていました。

「なぜ、その人自身の日常生活に直接関係の無い『世の中の出来事』(政治又は事件など)について、あたかも自分が当事者で、切実な関心があるかのような表現で、しかも長文を手間ひまかけて、しかも頻繁に作成するのだろう」「私にとって、この掲示板は敷居が高い」と。

その疑問を投稿者に述べたところ、私が「自分にとって切実な関心が無い出来事について掲示板に投稿してはいけない」と主張しているものと勘違いして「切実な関心がある出来事についてしか投稿できないのなら、この掲示板は何倍も敷居が高くなる」「『世の中の出来事』は、酒の肴にちょうど良い」などと答えた輩が居ました。

人の生死に関わる事件について「酒の肴」とは!

「その人自身の日常生活に直接関係の無い『世の中の出来事』について、この掲示板で『熱く語る人々』には、本当にその対象への切実さがあるのでしょうか?」と表現を変えて再度訊いたところ、その輩は何も答えられませんでした。

精神科医・斎藤環氏が出演した番組で「セカイ系」という言葉を知ったのですが、この人物も、一種の「セカイ系」なのでしょうか。


その掲示板で知り合った人々が集まった、有田さん主催の「オフ会」で、有田さんに「あの掲示板は時々読むんですけど、あまり投稿する気にならないんですよね…」と話したところ、「それが正常ですよ」と有田さんは仰っていました。

その後、有田さんのWEBサイトから掲示板は削除されました。

その主な理由は、有田さんへの嫌がらせ投稿が相次ぎ、それへの対処のため、有田さんに多大な負担が掛かっていたことだったと思いますが。

このブログでコメントを投稿できない設定を選んだのは、有田さんを標的にした嫌がらせを警戒したためです。


今では、私はブログをふたつ、ブログではないサイトをひとつ運営するまでになりました。

profileをご覧いただければお分かりいただけますが、私はインターネット上で本名を公開していません。
でも、私という個人を特定できる情報を公開しています。

私は、自分のWEBサイトでインターネットの匿名性を利用してはいません。

それは、「リスクを抱えて、責任を持って発言している」ということでもあります。


それなのに、匿名で、何のリスクも背負わず、無責任な言葉を吐き散らす者が、私のメインブログのコメント機能を利用して、私に「『議論を挑む』ことを装った嫌がらせ」を試みてくることがあります。

「対面での関係では欠かせない最低限の配慮も遠慮も」皆無の連中です。

有田さんの掲示板とは異なり、私のメインブログは、私の承認なしにはコメントが公開されない設定としてあるので、特に負担が掛かっているわけではありませんが、「世間には、どうしようもないような輩がこれほど居るのか」と呆れるばかりです。

有象無象には、「無視」が一番効果があることを、私は知っています。
無視されると、「お願いだから、相手にしてよー」と大騒ぎする者も居ますが(笑)、そう長続きしません。